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さよならリンリン 2
Sat.03.05.2008 Posted in パンダ [Giant Panda]
リンリンのこと

当ブログを開設した2005年8月の時点では、上野動物園には2頭のジャイアントパンダが飼育公開されていました。

一頭は先日亡くなったリンリン、もう一頭は繁殖のためメキシコから来園していたメスのシュアンシュアンです。大柄で天真爛漫なシュアンシュアンは天性のスターで、見学者から注目を一身に浴びていました。

シュアンシュアンは、リンリンがメキシコの動物園に出張派遣されていた時に相性の良かったパンダとして繁殖を期待され来日していました。しかし、リンリンは彼女のパワフルさに怖れをなしていたようなのです。

彼女は来日当日に寝室のスノコを破壊し、大柄な彼女のために拡張したした木製の寝台も一週間後には、跡形も無く粉砕してしまいました。

休日に見学者が大挙して訪れ、フラッシュの嵐に見舞われると、わざわざ見学者の方へ近づいていき、中央にどっかりと座り込み愛嬌を振りまいたものでした。まさに「女傑」と言って良い、豪胆な性格のパンダでした。

帰国時の飼育員さんに対するテレビインタビューで、シュアンシュアンはジャイアントパンダとしては珍しい、吼えるパンダであったという事を聞きました。食餌の催促等をはっきりと声を出して主張するパンダであったようです。
おそらくガラスの向こうの飼育舎内全体に、シュアンシュアンの咆哮が轟きわたり、リンリンの耳にも届いていたことでしょう。

シュアンシュアンの名誉のために誤解されないように言葉を添えますと、彼女は決して凶暴なパンダではありませんでした。明るくサービス精神に溢れた彼女は、大輪のダリアのような存在でした(リンリンはタンポポか野菊)。


それにひきかえリンリンはというと、パンダ舎の水無し池の中でガックリと肩を落とし縮こまっているか、寝棚の上で背中を向けて丸まっている憔悴した感のある「つまらないパンダ」でした。

2005年の9月の末に、シュアンシュアンは惜しまれつつ故郷のメキシコ・チャプルテペック動物園へ帰国しました。そのとき私の正直な気持ちは、これからはあの動かないパンダを撮る事になるのか……、というものでした。ですから、この時期のジャイアントパンダの写真はシュアンシュアンのものばかりです。

f0713-panda

  (女傑・シュアンシュアン / 2007年7月13日撮影)


ところが、シュアンシュアンの去った後、中央の屋内飼育場に戻ったリンリンは、意外にもリラックスして、やんちゃな一面を見せてくれる事になるのです。

「そうだったのか……。怖かったんだね、リンリン」


見学者からはシュアンシュアンが帰国してしまって、孤独になったリンリンが可哀想という声が聞かれたましたが、あにはからんや、この時から彼は本来の人なつこい、気の良いパンダぶりを発揮していったのでした。この時期のリンリンは、よく食べよく動きよく眠り、わが世の春を謳歌していました(ただし見学者のカメラのフラッシュは苦手のようでしたが)。

私はリンリンの変貌ぶりとその理由を知り、彼に親近感を抱くようになりました。「ジャイアントパンダ」の愛嬌ある容姿と絶滅危惧種である希少種という理由で興味を持ったのではなく、「リンリン」という個性を好もしく思い、見学者の少ない雨の日を狙って写真を撮っていたのです。


051005-giantpanda-1

  (スーパーリラックス・リンリン / 2005年10月5日撮影)


この後のリンリンの写真は『すみませんワタシは占い師』で管理人のmechaさんがまとめてくださったので、ぜひ御覧下さい。


リンリンは上野動物園所属になってから、3度もメキシコへ繁殖のため出張しました。さらにまだ北京動物園にいる時にも1度アメリカへ渡った事もあるそうです(推定ですが、彼は飼育員さんにとって扱いやすいパンダだったのではないかと思います)。
今思うと、優しい、小心なリンリンが良くやったと思います。彼も若かったのでしょうね。




最後の数日間

4月18日(金) 寝室と公開飼育場の出入りが自由となる。
   |
4月23日(水) 公開中止
4月24日(木) 再公開
4月25日(金) 公開
4月26日(土) 公開中止
4月27日(日) 再公開
4月28日(月) 休園日
4月29日(火) 公開中止
4月30日(水) 永眠

幸いにも(?)25日と27日にリンリンを撮影に行く事が出来ました。


08-giant-panda-04-25-5

「そろそろ時が来たようです」

この日(25日)リンリンは見学者に向かって、何事かのシグナルを二度発しました。私にはそれが別れの挨拶に感じられてなりませんでした。

翌日は非公開になり翌々日の27日に再公開になりましたが、もうこの時は衰弱が進んでいて、いかに鈍感な私といえども、リンリンを直視する事が辛いような状態でした。

リンリンは飼育室の中央にある水が入っていない池の中に座り込み、長い間うなだれていました。25日も同じ体勢でしたので、あの格好が末期のリンリンには一番楽な格好だったのかもしれません。


08-giant-panda-04-07-1

「闘病中」



結果的に公開最終日になった27日は日曜日であったため、見学者が多く、最前列に居座る事がはばかれたため、写真はいつもの3分の1くらいしか撮れませんでした。


08-giant-panda-04-07-2

「苦しいけれど、わがままは言いません」
  (27日撮影)

この写真が私が生きているリンリンを撮った最後の1枚です。





08-giant-panda-04-25-7

「リンリンよ!リンリンよ!!!」
  (25日撮影 2度目のシグナル)



08-giant-panda-04-25-6

「いつまでも友だちです」
  (25日撮影 苦しさの波が一時的に過ぎると顔をあげてくれました)


このブログは皆さんを悲しませるために作っているものではありません。しかし、リンリンが病と最期まで雄々しく闘った事を伝えるため、あえて最期の公開日となった25日・27日の写真をアップさせていただきました。


私は「リンリン」という個性が好きでした。そしておそらく生涯彼のことは忘れないでしょう。上野動物園にリンリンという繊細な心を持った気の良いパンダがいた事を。


リンリンに会えて良かった!!

ジャイアントパンダ   リンリン (1985/9/15-2008/4/30)






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comments

ありがとう。。。。

リンリン 本当にありがとう!

この記事を読むと、またまた涙涙ですが、
でも、ニャホさんの、リンリンへの想い。
この記事に溢れていますね。。。。

リンリンが、最後まで雄々しく闘病したことを知ることができ
励まされました。。。。
リンリン 最後にもう一度ありがとう!
君の事 大好きです!!!

ニャホさん、ありがとう・・

TVでもりんりんが亡くなった報道はしていましたが、
画像は全盛期の元気な姿でした。
悲しいけれど、寂しいけれど、最期にシグナルを送ってくれたりんりんの姿を見て、何だかほっとしました。りんりんは優しいパンダです。

はるか異国につれて来られて、見世物になって一生を送ることになったりんりんは、ひょっとしたら人間を恨んでいるんじゃないかと実はちょっと思っていました。

でも最期のシグナルは優しい目をしています。
りんりんにあえて本当によかった☆動かなくても存在感は充分なりんりんでしたよ。

ニャホさん、ありがとう!ブログをやっててよかったと思います☆

涙が出てきます。。。

リンリン、お爺ちゃんパンダだったし、
このくらいの闘病生活をしていた
祖父や父を看ていたけど・・・
色々なことが全く出来なくてつらそうでした。

シュアンシュアンのことも
ニャホさんのブログで知ったのですが、
男性のリンリンが気後れしていたのか・・・
なんて勝手な想像もしちゃいましたが。


動物がどれだけ苦しいのか?
人間なのでその具体的な想像が難しいですが、
苦しいのは苦しい、
痛いのは痛いと思います。


・・・でも、ブログで色々なことを知ったり、
色々な人たちと友達になれて・・・
反対にワタシはかなり幸せだと想いました・・・v-354

 「リンリン天国で会おう」




(え?・・・・・・・・・)

(T_T) 字抜けでした

『このくらいの年令で闘病生活をしていた』
・・・が抜けております。

日本語は難しい(というかワタシがソコツ者)です。

リンク、ありがとうございます。
ニャホさん、文章上手いんだから、
これからも、もっと文字を書いてくださいね(゚▽゚*)・・・。

ではでは・・・。

マリア様

本日受信した「TokyoZooNetメールマガジン・ズー・エクスプレス」によると、リンリンに薬を飲ませる苦労(とても苦いらしいです)が書かれていました。

飼育員さんも必死の治療を行っていたようです。一番落胆しているのは、動物園のスタッフさんですよね。

リンリンは最後の公開日にも、苦しさでうな垂れているのに、一生懸命顔を上げてくれました。

三毛猫さま

リンリンは北京動物園で人工授精で産まれたので(母親はダイダイ)、上野にやって来てからも、きっと「世界はこんな所」と思っていたんじゃないでしょうかね??

ただしリンリンがやって来た1992年当時の中国では、カメラを個人所有していた人は少なかったと思われますので、フラッシュの嵐には驚いたかもしれません。

当時彼は7歳だったので、ある程度は順応したのかもしれませんね(明らかに閃光は嫌ってはいましたけどね)。

本当に、もし「あの世」があるのなら、母親や幼少期に彼の世話をした飼育員さんにも存分に甘えてほしいと思います。

mecha様

あのシュアンシュアンのパワフルさには、リンリンでなくとも気圧されると思います。まさにメキシコのおっ母さんでした。

そのシュアンシュアンももう20歳になるはずです。元気なうちに一目見たいと思っているのですが、何より先立つものが……。

私に文章は無理です\(´∇`;)/
1行書くのにタバコ4~5本吸わないと書けませんから(注.1記事にあらず)。

リンリンは去年の7月頃から体調が下降線をたどったみたいですね。ちょっとお腹が出てきたな(腹水が73ℓも溜まっていたそうです)、とか肩の筋肉が落ちたなあ、とかは思っていたのですが……。

今年に入ってからの体調の悪さは、見る人が見れば一目瞭然だったようです。リンリンが好き、などと言っておいて、そのくらいのことが分からなかった私の目はフシ穴だと思います。

リンク

リンク、貼りなおしました。
もう本当に自分でも呆れますが、よかれと思ってやったことがことごとく失敗します。なぜかそうなる。
「よもやまさんのコメントに飛びます」ってうちの掲示板に書いてあった時は、コケました。すみません・・

それと、とんとんありがとうございます!
早速日記のプロフ写真にしました☆

さよならリンリン

中国の成都では、パンダの繁殖に成功していますが
まだまだ、他国での繁殖は成功例が少ないみたいです。

飼育員さんに言わせると「ブサイク」で「人気がなかった」パンダでしたが、「気立てはいちばんいい」リンリンちゃんだったそうです。
そんな、りんりんの個性をちゃんとわかって愛してあげていたにゃほーさん。
ステキですね。
リンリンの追悼記事の中でにゃほ~さんの記事はきっと最高でしょう。

上野がすこし寂しくなりそうです。

三毛猫さま

あ、いやいやこちらこそお手数かけますです。数々の気づかい感謝しとります。

トントンはリンリンの奥さんだったのですが、13か14歳で死亡してしまったパンダです。

「極楽動物園+1」は7日より再開園します。

SATOKO様

リンリンが出向していたメキシコの動物園には、シーファ、シュアンシュアン、シンシン 3頭のパンダがいるのですが、いずれも自然繁殖だそうです。

ただ3頭ともメスなので、リンリンに白羽の矢が立ったようです。そのリンリンの赤ちゃんは人工授精でも産まれなかったのです。うまくいかないもんですねー。

リンリンも晩年には顔が丸くなって、可愛らしくなっていました。それに何より目つきが優しいんです。

オスなのに、野菊のようなリンリン。大好きでした。

7日の記事

7日は初七日になりますね☆
OK、了解しました。
りんりんもみんなが仲良くブログをやってるのを喜んでくれると思います(^-^)
記事、待ってま~す!!

三毛猫さま

GW中は見学者が多く、気力も低下していたので、休んで正解だったかもしれません。

今はもう、リンリンの飼育場の副室まで皆さんが供えた花で一杯です。

どうも動物園のスタッフさんに顔を憶えられてしまったらしく、GWも毎日押しかける怪しいオジサンを笑顔(苦笑?)で迎えてくれるようになりました。

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